漢方・本草閣の歴史を辿る
本草閣の歴史は、商品だけではありません。
時代背景や生き方を見つめ、古来からの伝統を基盤に常に新しい価値を創造し続けて来ました。
「患者さんの為に」。
その思いは創業当時から変わりません。
むしろそれだけが本草閣が皆様に愛され続いてきた理由なのかもしれません。
中国と日本の漢方の歴史と共に天保元年創業した本草閣の、180年以上にわたる歩みをご紹介します。
紀元前
500年〜
1000年〜
1500年〜
2000年〜
-
-
紀元前
原始的な経験治療の時代
1C〜2C
- 前漢時代
- 不老長寿を目指した薬物療法を体系づけた「神農本草経」 生薬について記された世界最古の書物。 人体に有効なもの、有害なものを区別して薬草を集めている。
- 「神農本草経」
- 「神農本草経」
3世紀の初め
- 後漢時代
- 治験経験、薬物療法を整理し、薬物を組合せ、病気のどんな時に使うか経験を通して治療体系を張仲景がまとめた「傷寒雑病論」。 風邪等の外感熱性病の原因、病状、治療法等詳細に記載。 製剤の理論は現在にも受け継がれる。「漢方」の語源とされる。
- 「傷寒雑病論」
- 「傷寒雑病論」
「黄帝内経」「神農本草経」「傷寒雑病論」この三冊は中国医学の元となる三大古典となり、 漢方の基盤となる。
5C前半
- 北魏/宋時代
- 「小品方」 薬方集 医学全書
梁時代~唐時代にかけて、三大古典をもとに多くの医学書が書かれた
-
紀元前320~250年
- 春秋戦国時代の末期
- 古代中国医学(漢方)体系の画一
- 中国最古の医学書
- 自然と人体の様々な関係を想定した医学体系が生まれ「黄帝内経」として集大成
- 病気の分類と鍼灸による治療法
- 東洋医学の教科書。陰陽五行説。未病(みびょう)という用語は、『黄帝内経』で初めて使用された。
- 「黄帝内経」
- 『素問』と『霊枢』
280年頃
- 蜀・呉・魏・西晋時代
- 「脈経」診断学書
4c
- 五十国胡六/東晋時代
- 「山海経」「脈経」診断学書
4C前半
- 五十国胡六/宋時代
- 「肘後備急方」薬方集 医学全書
-
610年
- 陳時代
- 「諸病源候論」 病因病態書 経験薬方の集成
659年
- 唐時代
- 「新修本草」 本草学書
752年
- 唐時代
- 「外台秘要方」 薬方集 医学全書
1000年頃
- 北宋時代
- 印刷技術の飛躍的な発展と医療政策の強化によって、医学書が印刷出版される。これによって、医学知識の普及、発展が促された。
- 北宋 仁宗時代
-
「金匱要略(方論)」
『傷寒雑病論』の後半である雑病部「金匱玉函要略方」を校訂
1118年
- 南宋/西夏/金時代
- 「聖剤総録」 医学全書
1396年
- 清時代
- 「玉機微義」 医方書
1600年代(清時代)
- 1642年
- 「温疫論」 温病理論
- 1648年
- 「傷寒尚論篇」
- 1670年
- 「傷寒論後条弁」
- 1742年
- 「医宗金艦」 医学全書
- 1798年
- 「温病条弁」
- 18C 前半
- 「温熱論」 温病理論
- 「宋板傷寒論」
1949年
- 清時代末
-
中華人民共和国として出発。
固有の医学として漢方が取り上げられるようになり、中医学として発展し続けている
-
500年頃
- 梁時代
- 「本草経集注」本草学書「神農本草経」が底本
650年代
- 隋時代
- 「千金方」 薬方集 医学全書
682年
- 唐時代
-
備急千金要方(千金要方)孫思邈 (そん しばく)著
医学書民間経験方や自分の医療経験を収集し、既存の医薬文献まとめあげた。中国史上最初の臨床医学百科全集
「千金翼方」 『千金要方』の補完版
薬方集 医学全書 千金要方の補足 導尿術を採用。
日本や朝鮮に伝わり、現在でも医学者に重用されている。孫思邈(そん しばく)薬上真人と尊称され、医神として薬王廟に祀られる。
- 備急千金要方
- 孫思邈(そん しばく)
1110年
- 北宋/西夏時代
-
「太平聖恵方」 医学全書
「和剤局方」簡便な国定処方集
1350年頃
- 元時代
- 革新的な医学理論の展開運動がなされる(金元の四大家)
1500年代(清時代)
- 1515年
- 「医学正伝」 医方書
- 1578年
-
「万病回春」 医学書
「本草網目」 薬学書 - 1593年
- 「傷寒論条弁」
- 1599年
- 「宋板傷寒論」
- 「本草網目」
- 「本草網目」
1700年代(清時代)
- 1742年
- 「医宗金艦」 医学全書
- 1798年
- 「温病条弁」
- 18C 前半
- 「温熱論」 温病理論
- 「医宗金艦」
-
-
-
紀元前
本能的医療行為の時代
日常の経験からきわめて原始的な経験治療を行ってきた。 また、祈祷やまじないなどの魔法医術が自然発生的に行われ、それが医療の手段とされてきた平安時代
中国伝統医学の模倣から、日本の独自性を追求。 漢方は日本の風土・気候、日本人の体質に合わせて独自の発展をする。
- 808年
- 「大同類聚方」出雲広貞ら日本古来の経験方(倭古方)の集大成
- 984年
-
「医心方」丹波康頼 中国医書を元に作られた日本現存最古の医書
鎌倉~南北朝時代(1185~)宋の医学書が伝えられ、従来の宮廷医による隋唐医学に変わって禅宗の僧医達が新しい僧医学の担い手となる。 医療の対象が一般民衆に拡大。 - 1303年
- 「頓医抄」梶原性集 僧医
- 1315年
- 「万安方」梶原性集 僧医
江戸時代
初期 オランダから西洋医学(蘭学)が伝来、今までの日本独自の医学と区別するためオランダ医学を「蘭方」と呼び、それまでの日本独自の医学を「漢方」と呼ぶようになる。「傷寒論」を基本とする“古方派”が興る(現在の日本漢方の始まりとなる)名古屋玄医・後藤良山・香川修庵・内藤希哲・山脇東洋・吉益東洞など、漢方医学の優れた伝道者が続出し、臨床や薬の運用が発達をする
1775年
加藤玄順 衆方規矩大成方解
- 衆方規矩大成方解
1790年
傷寒論辨正 陽上~陰下巻 / 深齋先生著
- 傷寒論辨正
- 傷寒論辨正
- 傷寒論辨正
江戸時代 後期
蘭方医学を学んだ漢方医家により漢蘭折衷の医方も行われる
1828年
岩崎灌園 本草図譜 江戸時代最大の植物図鑑
- 本草図譜
明治時代
- 1868年
- 西洋崇拝の潮流に押し流され、ドイツ医学を中心とする西洋医学が主に西洋化、富国強兵を目指す新政府は漢方医学廃絶の方針を選択、これによって漢方は極端に衰退
- 1874年
- 明治政府が西洋医学を重視した医師免許規則を制定。国家試験に合格しなければ医業開業の許可を与えないとする医師免許規則を制定(医師免許は西洋医学のみに)
- 1895年
- 国会にて改正法案(漢医継続願)が否決
- 1910年
- 「医界之鉄椎」和田啓十朗著
衰退していた漢方医学が再評価される端緒を作る
- 医界之鉄椎
1946年
第二次世界大戦の際、空襲にて全焼した店舗を再建
昭和30年代
エキス剤の出現
1964年
健康茶の人気が全国に拡大 全国各所に営業所開設
- 1964年頃の薬局
- 健康茶
1976年
医療用漢方製剤33処方が薬科基準収載
1977年
本草閣薬湯有限会社設立
業務用入浴剤の薬湯、生薬、ハーブ風呂等の原料等を販売1982年
ハタ製薬を本草製薬(株)が吸収合併、(株)秦穎二商店を吸収「株式会社ケイ・ハタ」(東京日本橋)設立
医薬品原料、製品等の貿易業務、卸売1986年
本草閣呉鍼灸院新設
本場中国より呉奇日拉医師を迎え、鍼灸治療院を開設(現在、呉鍼灸院は独立)1990年
有限会社HYメディカルサービス設立
調剤薬局 「エポック調剤薬局」を昭和区と一宮市に開設1993年
かわら版スタート。
株式会社三鈴成和設立 薬膳饅頭 販売スタート
食料品、化粧品、無農薬栽培食品、健康器具等の販売
2001年
大学 医学部、薬学部で漢方講義が実施される
2013年
8代目に「林 佳代」就任
-
古墳時代
朝鮮半島経由で、中国・朝鮮の医療技術が輸入される。
701年
- 飛鳥時代
- 「大宝律令」により「脈系」「甲乙系」「本草経集注」「小品方」「集験方」「素問」「針経」などの中国医学書が指定され、学習された
- 素問
- 素問
- 素問
室町時代
明に留学し帰朝した医師達が医学界をリードするようになる
1498年
田代三喜が明より帰る→金元李朱の当時最先端医学が輸入される。
安土桃山時代
田代三喜に学んだ曲直瀬道三(時の権力者、足利義輝・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉や天皇家の信任を得、その医療を担当)が中国医学を日本化し、宗教医学を改め、宗教と医学を分離する(後世方派)
1702-1773年
吉益東洞 薬徴
- 薬徴
- 薬徴
1809年
和久田叔虎 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
その後、後世方派と古方派の経験的・臨床的な長所を組み合わせた折衷派などが興る
1830年
創業 家伝薬の民間薬・家伝売薬の製造販売業を名古屋市東区百人町にて始める 当時の薬剤師は現在の内科医師の様な役割を担い、地域の人々を治していた
昭和時代
- 1927年
- 「皇漢医学」湯本求真著などの著書が引き金となり、漢方は次第にまた、脚光を浴びるようになる
- 皇漢医学
1931年
本草閣 5代目山本泰一が名古屋の鶴舞に漢方専門薬局を開設
昭和時代
- 1945年〜
- 戦後、物質偏重的な医学から、精神的な医学に重きが置かれるようになると、自然的な東洋医学が再び注目されることとなった
1949年
本草閣 法人化
1950年
日本東洋医学会 設立
1954年
・取締役の 6代目山本三男が就任
・本草製薬(株)設立。保険医療用漢方薬、薬店・薬局で販売される一般医薬品・ヘルスケア薬品の製造をスタート
・山本三男考案「健康茶」販売スタート1969年
鶴舞駅前
1980年
鶴舞駅前
1983年
7代目に「林 譽史朗」就任
1987年
有限会社わかな 設立
健康食品、雑貨等を販売1987年
医療用漢方製剤147処方が薬科基準収載
1991年
漢方が評価され、日本医学会に日本東洋医学会が登録
1997年
ドラッグストア「クリスドラッグ」 西春店 緑店 開設。 本草閣支店 緑店 開局。
2007年
株式会社七草設立 調剤薬局、在宅医療への参入
2015年
9代目に「秋山 あかね」就任
-
-
-
紀元前
原始的な経験治療の時代
紀元前320~250年
- 春秋戦国時代の末期
- 古代中国医学(漢方)体系の画一
- 中国最古の医学書
- 自然と人体の様々な関係を想定した医学体系が生まれ「黄帝内経」として集大成
- 病気の分類と鍼灸による治療法
- 東洋医学の教科書。陰陽五行説。未病(みびょう)という用語は、『黄帝内経』で初めて使用された。
- 「黄帝内経」
- 『素問』と『霊枢』
1C〜2C
- 前漢時代
- 不老長寿を目指した薬物療法を体系づけた「神農本草経」 生薬について記された世界最古の書物。 人体に有効なもの、有害なものを区別して薬草を集めている。
- 「神農本草経」
- 「神農本草経」
280年頃
- 蜀・呉・魏・西晋時代
- 「脈経」診断学書
3世紀の初め
- 後漢時代
- 治験経験、薬物療法を整理し、薬物を組合せ、病気のどんな時に使うか経験を通して治療体系を張仲景がまとめた「傷寒雑病論」。 風邪等の外感熱性病の原因、病状、治療法等詳細に記載。 製剤の理論は現在にも受け継がれる。「漢方」の語源とされる。
- 「傷寒雑病論」
- 「傷寒雑病論」
「黄帝内経」「神農本草経」「傷寒雑病論」この三冊は中国医学の元となる三大古典となり、 漢方の基盤となる。
4c
- 五十国胡六/東晋時代
- 「山海経」「脈経」診断学書
4C前半
- 五十国胡六/宋時代
- 「肘後備急方」薬方集 医学全書
-
5C前半
- 北魏/宋時代
- 「小品方」 薬方集 医学全書
梁時代~唐時代にかけて、三大古典をもとに多くの医学書が書かれた
500年頃
- 梁時代
- 「本草経集注」本草学書「神農本草経」が底本
610年
- 陳時代
- 「諸病源候論」 病因病態書 経験薬方の集成
650年代
- 隋時代
- 「千金方」 薬方集 医学全書
659年
- 唐時代
- 「新修本草」 本草学書
682年
- 唐時代
-
備急千金要方(千金要方)孫思邈 (そん しばく)著
医学書民間経験方や自分の医療経験を収集し、既存の医薬文献まとめあげた。中国史上最初の臨床医学百科全集
「千金翼方」 『千金要方』の補完版
薬方集 医学全書 千金要方の補足 導尿術を採用。
日本や朝鮮に伝わり、現在でも医学者に重用されている。孫思邈(そん しばく)薬上真人と尊称され、医神として薬王廟に祀られる。
- 備急千金要方
- 孫思邈(そん しばく)
752年
- 唐時代
- 「外台秘要方」 薬方集 医学全書
1000年頃
- 北宋時代
- 印刷技術の飛躍的な発展と医療政策の強化によって、医学書が印刷出版される。これによって、医学知識の普及、発展が促された。
- 北宋 仁宗時代
-
「金匱要略(方論)」
『傷寒雑病論』の後半である雑病部「金匱玉函要略方」を校訂
1110年
- 北宋/西夏時代
-
「太平聖恵方」 医学全書
「和剤局方」簡便な国定処方集
1118年
- 南宋/西夏/金時代
- 「聖剤総録」 医学全書
1350年頃
- 元時代
- 革新的な医学理論の展開運動がなされる(金元の四大家)
1396年
- 清時代
- 「玉機微義」 医方書
1500年代(清時代)
- 1515年
- 「医学正伝」 医方書
- 1578年
-
「万病回春」 医学書
「本草網目」 薬学書 - 1593年
- 「傷寒論条弁」
- 1599年
- 「宋板傷寒論」
- 「本草網目」
- 「本草網目」
1600年代(清時代)
- 1642年
- 「温疫論」 温病理論
- 1648年
- 「傷寒尚論篇」
- 1670年
- 「傷寒論後条弁」
- 1742年
- 「医宗金艦」 医学全書
- 1798年
- 「温病条弁」
- 18C 前半
- 「温熱論」 温病理論
- 「宋板傷寒論」
1700年代(清時代)
- 1742年
- 「医宗金艦」 医学全書
- 1798年
- 「温病条弁」
- 18C 前半
- 「温熱論」 温病理論
- 「医宗金艦」
1949年
- 清時代末
-
中華人民共和国として出発。
固有の医学として漢方が取り上げられるようになり、中医学として発展し続けている
-
-
-
紀元前
本能的医療行為の時代
日常の経験からきわめて原始的な経験治療を行ってきた。 また、祈祷やまじないなどの魔法医術が自然発生的に行われ、それが医療の手段とされてきた古墳時代
朝鮮半島経由で、中国・朝鮮の医療技術が輸入される。
701年
- 飛鳥時代
- 「大宝律令」により「脈系」「甲乙系」「本草経集注」「小品方」「集験方」「素問」「針経」などの中国医学書が指定され、学習された
- 素問
- 素問
- 素問
室町時代
明に留学し帰朝した医師達が医学界をリードするようになる
1498年
田代三喜が明より帰る→金元李朱の当時最先端医学が輸入される。
平安時代
中国伝統医学の模倣から、日本の独自性を追求。 漢方は日本の風土・気候、日本人の体質に合わせて独自の発展をする。
- 808年
- 「大同類聚方」出雲広貞ら日本古来の経験方(倭古方)の集大成
- 984年
-
「医心方」丹波康頼 中国医書を元に作られた日本現存最古の医書
鎌倉~南北朝時代(1185~)宋の医学書が伝えられ、従来の宮廷医による隋唐医学に変わって禅宗の僧医達が新しい僧医学の担い手となる。 医療の対象が一般民衆に拡大。 - 1303年
- 「頓医抄」梶原性集 僧医
- 1315年
- 「万安方」梶原性集 僧医
安土桃山時代
田代三喜に学んだ曲直瀬道三(時の権力者、足利義輝・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉や天皇家の信任を得、その医療を担当)が中国医学を日本化し、宗教医学を改め、宗教と医学を分離する(後世方派)
江戸時代
初期 オランダから西洋医学(蘭学)が伝来、今までの日本独自の医学と区別するためオランダ医学を「蘭方」と呼び、それまでの日本独自の医学を「漢方」と呼ぶようになる。「傷寒論」を基本とする“古方派”が興る(現在の日本漢方の始まりとなる)名古屋玄医・後藤良山・香川修庵・内藤希哲・山脇東洋・吉益東洞など、漢方医学の優れた伝道者が続出し、臨床や薬の運用が発達をする
1702-1773年
吉益東洞 薬徴
- 薬徴
- 薬徴
- 薬徴
1775年
加藤玄順 衆方規矩大成方解
- 衆方規矩大成方解
1790年
傷寒論辨正 陽上~陰下巻 / 深齋先生著
- 傷寒論辨正
- 傷寒論辨正
- 傷寒論辨正
江戸時代 後期
蘭方医学を学んだ漢方医家により漢蘭折衷の医方も行われる
1809年
和久田叔虎 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
- 腹証奇覧翼
その後、後世方派と古方派の経験的・臨床的な長所を組み合わせた折衷派などが興る
1830年
創業 家伝薬の民間薬・家伝売薬の製造販売業を名古屋市東区百人町にて始める 当時の薬剤師は現在の内科医師の様な役割を担い、地域の人々を治していた
1828年
岩崎灌園 本草図譜 江戸時代最大の植物図鑑
- 本草図譜
明治時代
- 1868年
- 西洋崇拝の潮流に押し流され、ドイツ医学を中心とする西洋医学が主に西洋化、富国強兵を目指す新政府は漢方医学廃絶の方針を選択、これによって漢方は極端に衰退
- 1874年
- 明治政府が西洋医学を重視した医師免許規則を制定。国家試験に合格しなければ医業開業の許可を与えないとする医師免許規則を制定(医師免許は西洋医学のみに)
- 1895年
- 国会にて改正法案(漢医継続願)が否決
- 1910年
- 「医界之鉄椎」和田啓十朗著
衰退していた漢方医学が再評価される端緒を作る
- 医界之鉄椎
昭和時代
- 1927年
- 「皇漢医学」湯本求真著などの著書が引き金となり、漢方は次第にまた、脚光を浴びるようになる
- 皇漢医学
1931年
本草閣 5代目山本泰一が名古屋の鶴舞に漢方専門薬局を開設
昭和時代
- 1945年〜
- 戦後、物質偏重的な医学から、精神的な医学に重きが置かれるようになると、自然的な東洋医学が再び注目されることとなった
1946年
第二次世界大戦の際、空襲にて全焼した店舗を再建
昭和30年代
エキス剤の出現
1949年
本草閣 法人化
1950年
日本東洋医学会 設立
1954年
・取締役の 6代目山本三男が就任
・本草製薬(株)設立。保険医療用漢方薬、薬店・薬局で販売される一般医薬品・ヘルスケア薬品の製造をスタート
・山本三男考案「健康茶」販売スタート1964年
健康茶の人気が全国に拡大 全国各所に営業所開設
- 1964年頃の薬局
- 健康茶
1969年
鶴舞駅前
1976年
医療用漢方製剤33処方が薬科基準収載
1977年
本草閣薬湯有限会社設立
業務用入浴剤の薬湯、生薬、ハーブ風呂等の原料等を販売1980年
鶴舞駅前
1982年
ハタ製薬を本草製薬(株)が吸収合併、(株)秦穎二商店を吸収「株式会社ケイ・ハタ」(東京日本橋)設立
医薬品原料、製品等の貿易業務、卸売1983年
7代目に「林 譽史朗」就任
1986年
本草閣呉鍼灸院新設
本場中国より呉奇日拉医師を迎え、鍼灸治療院を開設(現在、呉鍼灸院は独立)1987年
有限会社わかな 設立
健康食品、雑貨等を販売1987年
医療用漢方製剤147処方が薬科基準収載
1990年
有限会社HYメディカルサービス設立
調剤薬局 「エポック調剤薬局」を昭和区と一宮市に開設1991年
漢方が評価され、日本医学会に日本東洋医学会が登録
1993年
かわら版スタート。
株式会社三鈴成和設立 薬膳饅頭 販売スタート
食料品、化粧品、無農薬栽培食品、健康器具等の販売
1997年
ドラッグストア「クリスドラッグ」 西春店 緑店 開設。 本草閣支店 緑店 開局。
2001年
大学 医学部、薬学部で漢方講義が実施される
2007年
株式会社七草設立 調剤薬局、在宅医療への参入
2013年
8代目に「林 佳代」就任
2015年
9代目に「秋山 あかね」就任
-